株式会社 伊和起ゲージ登録番号:0096

今回のピックアップ企業は、治工具から精密ねじ、精密ボールねじなど、精密加工品を幅広くてがけ、「ミクロで世界に挑戦する伊和起」をキャッチフレーズに、新技術の開拓に取り組む株式会社伊和起ゲージの二代目社長、広瀬安宏さんに話を伺った。

同社は大田区蒲田で営業を開始し、今年で49年目を迎える。創業者である実父は11人兄弟の6男で、黒田侠範(現在は黒田精工)に勤めていた3男が興した会社で共に働いていた。しかし、全ての資産は長男に引き継がれるという当時の世襲への反骨心から、自立を決意。そこで現在の社名である"伊和起ゲージ"を創業したのだが、この目を引く社名、その由来が気にならないだろうか。
実父には尊敬する知人でイワキさんという方がおり、 「名を借りよう。これなら電話帳で調べても先頭にくる」ことに注目した。さらに、「イ」は一番を意味するイロハの"伊"、「ワ」は喧嘩をせずチームワークを重視する"和"、「キ」は決起しようという力強い意思を表す"起"を当て字として使うことに決めた。すなわち、この社名には「日本の和を大事にしながら一番を目指して起業しよう」という、先代社長の強い意志が表れている。

 現在の主力製品となっているボールねじとは、回転運動を直線運動に変える機械要素で、ナットとねじの間に金属のボール(剛球)を入れて、ナットをスムーズに動作させるようにしたものだ。ねじ面の滑り"接触運動"を"転がり運動"に変えるところに特異性があり、従来のねじより摩擦係数が少なく、3分の1程度のトルクでねじを締めあげることが可能である。摩耗が少なく、剛性が高い点や、精密な微動送りができる強みを活かして、目的の加工のために機械部品を移動して停止させる"位置決め"のための部品として様々な産業用機械の中で用いられている。


  0096_pickup_002.jpg今から約35年前、同社でボールねじより前に取り扱うこととなった送りねじは、思いがけないきっかけで始まった。近所にあった自動車部品を手掛ける会社から突然、"フロッピーディスクの内部でレーザーの位置決めをするためのねじを作ってくれ"という打診があった。当時、十分なSUSのネジ切り技術がない中で、初代社長はこれを引き受け、地道に研磨・加工を行い、やっとの思いで納品した。時を経て主力製品は送りねじから精密ボールねじへと変わったが、こうした先代社長の気概は二代目の広瀬社長にも受け継がれている。

【工場内にて:広瀬 安宏 社長】→

 住宅街に囲まれている同社工場では、騒音上の問題から機械を常時運転させることが難しい。「機械の温まり方・冷え方が日によって違うから精度が安定しない。稼働させてから12時間以上経ってようやく安定することもあった」と語るように、広瀬さんは経営者としてタクトを振るう一方、工場に立つと職人の顔へと変わる。「精度が安定してきたと思ったときは、40時間続けて造り続けた」と、職人として抱く品質へのこだわりは、大田ブランドが掲げる"Quality"にふさわしいものだ。

 広瀬さんは、この業界を「専門的で簡単に真似できないのは強みだが、反面、受けられる仕事が限定されるのが弱み」と話す。その言葉どおり、先代から引き継がれた高価な設備資産を活かし、加工から納品までを一気通貫できるワンストップサービスを今日まで築き上げてきた。また、会社規模が大きくなくても、意思決定の早さや受注調整といった機転を利かせることで、取引先の要望に合わせて納期の調整ができる事も、アピールしたい点の一つだ。

 広瀬さんの口からは、ドラッカーのマネジメントや孫子の兵法など、視座の高い話が次々と出てくる。近い将来、営業部門を持ちたい考えもあり、「製造と相容れない要素が互いに反発しないよう、多少の"遊び"を持たせた管理を行いたい」と、今から組織の在り方を構想する。その上で、自身はこれらのベクトルが交わる地点に立っていなくてはならないと、設立50年を控え、経営者としての自覚も日増しに高まっている様子だ。
広瀬さんの心に脈々と流れる熱き血潮は、次の世代へと着実に引き継がれ、永きにわたりその存在感を示し続けることだろう。今後、益々の活躍が期待される企業である。